「宗教改革」と「三十年戦争」Die Reformation und der Dreißigjährige Krieg
ドイツの歴史を語るうえで避けて通れないのが「宗教改革」と「三十年戦争」です。この時代は、ただの宗教的な対立だけではなく、人々の生き方や考え方、さらには国のあり方そのものを大きく変えてしまう、激動の時代でした。
この記事では、マルティン・ルターの宗教改革から、戦乱によって荒廃した三十年戦争までの流れを、できるだけやさしく、わかりやすくご紹介します。
ルターと宗教改革のはじまり(1517年)
時は1517年。ヴィッテンベルクという小さな町で、一人の修道士がある行動に出ました。その名はマルティン・ルター。彼は、当時のカトリック教会が売っていた「免罪符(めんざいふ)」に強く反対し、「95ヶ条の提題」という文書を教会の扉に貼り出します。
免罪符とは、「これを買えば罪が許される」と教会が人々に売っていた紙のこと。お金で罪が消えるなんて、おかしいですよね。ルターは「神の救いはお金ではなく信仰によって得られる」と主張しました。
この提題は瞬く間に広まり、印刷技術の力も借りて、ルターの考えはドイツ全土へと広がっていきます。こうして始まったのが、宗教改革です。
プロテスタントとカトリックの対立
ルターの主張は多くの人々の共感を呼びました。特に、当時の皇帝や教会の権力に不満を抱えていた貴族や民衆にとって、ルターの言葉は「自分たちの味方」のように感じられたのです。
ルターに共鳴する人々は、「プロテスタント(抗議する者たち)」と呼ばれるようになります。一方で、ローマ教皇と皇帝は依然として「カトリック」の立場を守ります。
この宗教の違いが、次第に政治や戦争と結びつき、各地で小さな対立や戦争が起こるようになります。ドイツ国内では、領主によって「プロテスタントかカトリックか」が分かれ、国内がどんどん分裂していきました。
アウクスブルクの和議(1555年)
長引く対立を一時的におさめるため、1555年に「アウクスブルクの和議(わぎ)」が結ばれました。
この条約では、「それぞれの領主が自分の支配地で信仰を決めてよい」とされました。つまり、ある領主がプロテスタントならその地域の住民もプロテスタント、カトリックならカトリック、というわけです。
一見、妥協のようにも見えるこの条約ですが、住民には選択の自由がほとんどなく、信仰のために引っ越しを余儀なくされる人も多くいました。表面的には平和が戻ったように見えても、不満はくすぶり続けていたのです。
三十年戦争のはじまり(1618年)
アウクスブルクの和議からおよそ60年後の1618年、ついに大規模な戦争が起こります。それが三十年戦争です。
発端は、現在のチェコにあたる「ベーメン(ボヘミア)」地方。ここでプロテスタントの貴族たちが、カトリックの皇帝に反旗を翻したことから戦いが始まりました。
最初はドイツ内の宗教戦争でしたが、次第にヨーロッパ各国がそれぞれの利害で介入し、国際的な戦争に発展していきます。フランス、スウェーデン、スペインなどが次々に参戦し、ドイツの地はまさに戦場となってしまいました。
荒廃したドイツと人々の苦しみ
三十年もの長きにわたる戦争は、ドイツにとてつもない被害をもたらしました。
・人口の3分の1が失われ
・農地は焼かれ、村々は廃墟に
・食料も不足し、飢餓と疫病が蔓延
兵士たちは略奪を繰り返し、民間人も無差別に襲われました。宗教というより、もはや「食うか食われるか」の世界です。戦争の名のもとに、多くの罪のない命が失われていきました。
このような混乱のなか、ドイツの人々は「平和とは何か」「本当に神はいるのか」と深く考えさせられることになります。
ウェストファリア条約と近代国家のはじまり(1648年)
ようやく1648年、三十年戦争は「ウェストファリア条約」によって終結します。場所は、ドイツ西部のミュンスターとオスナブリュック。
この条約では、
- プロテスタントとカトリックの共存が認められた
- スイスとオランダの独立が正式に承認された
- 領邦国家(小さな国の集まり)としてのドイツの形が固定された
つまり、これまで「神聖ローマ帝国」という名でくくられていたドイツは、名目こそ帝国でも、実際には大小300以上の独立した国々の集まりになってしまったのです。
この「ウェストファリア体制」は、後のヨーロッパにおける近代国家の枠組みの出発点となりました。
まとめ:信仰と戦争、そして分断の時代
宗教改革は、人々が「神」や「救い」について自分で考え、自由に信仰を選ぶきっかけをつくりました。一方で、その自由を求めたがゆえに、長く苦しい戦争の時代が訪れます。
三十年戦争を経て、ドイツは政治的に大きく分断され、国家としてのまとまりを失ってしまいました。しかしこの時代は、後の近代社会や自由思想へとつながる、大きな転換点でもあります。
血と涙にまみれたこの時代を、ただの「昔話」とせず、今を生きる私たちにとっての教訓として見つめなおすことが大切です。

信じることが人を動かし、時には歴史さえ変える。宗教改革の時代は、そんな “思いの強さ” がぶつかり合った時代だったのかもしれませんね。
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